長野県塩尻市でこだわりのギター製作を行う有限会社ティーズギター

2011年,今年もよろしくお願いいたします

2011年、あけましておめでとうございます。本年もよろしくお願いいたします。

今から丁度10年前になりますが、2001年の年始、その頃開いていたBBSに投稿した自分の文章があります。
————————-
あけましておめでとうございます。
本年も変わらぬご愛顧のほど、よろしくお願いします。

さて、21世紀・・・。
子供の頃図書館のSF小説を読み漁り、アポロ計画に心をおどらせ、アトムやドラエもんに
あこがれた私の世代から思うと、夢のまた夢の2001年!の到来です。
科学の発達が人々を万能の世へと導き、宇宙旅行の実現も時間の問題となっては今昔の感に
堪えませんが、実のところ私が思い描いていた21世紀は、20世紀の物理的な豊かさとは
異なり人々が物欲や宗教の違いを超越しつつ精神的な豊かさを湛えながら共有できる時代で
ありました。

貧富の差も無く、国々の争いや国境も無く、すべての人が平等にその人生をまっとう出来、
高次元の愛と平和を分かち合う世の中。
(ジョンレノンの歌にも歌われていましたっけ。)
こう書くといささか共産主義的なにおいも感じますし、資本主義=競争という図式も頭の中に
認識しているんですが、ただただ漠然とそんな世界を21世紀に望んでいました。

しかしながら21世紀に突入した世の中の現実とは…。
情報流通の高速化やインターネットの普及により人々の意思の交流がより自由になり、
よどみの無い人類共有の精神の発展に一歩を踏み出したかと思いきや、一方では逆にそれは
個々の情報量の格差を生み出し、貧富の差をも作りだし、結果人と人、国と国との間にまたもや
大きな隔たりが生まれつつあるのも現実。
社会が高度に発展すればするほどそこから逸脱した思想や行為も生まれ始め、ねたみそねみに
起因する犯罪も増えてしまうのも、歴史の本を覗かずとも世の常とも思われる、また現実です。
ここしばらくの新聞の見出しを拾っただけでも、汚職、疑惑、犯罪のネタは尽きません。

我が家には生まれてやっと2年と半年の男の子がいます。
ちょうど今、ものすごい勢いで世の中の様々な事柄を吸収している時期でして頼もしいばかり
ですが、反面ニュースに出てくる「暴力」「殺人」「破壊」などの言葉や場面を避けることに
非常に気苦労を強いられます。
なんとかこの子はきれいな心のままに育っていってもらいたい…。

実際そういっている親である私は結構汚いものに染まっていたりもしますし、家族のために
お金を得ることで精一杯で、子供と散歩する時間もままになりませんが。

世の中、きっともう少し進歩を続けると、見えてくるものがあるのかもしれません。
もうすこししたらきっと、もっと大事なものを、もっと大切に出来る世の中がくるのかも
しれません。

2001年…。21世紀…。
あなたに、私たちに、そして人類に素晴らしいことがありますように。

                         高橋謙次   2001年 元旦
————————–
この2001年を振り返りますと、個人的には4月に長女が誕生。5月にはサンフランシスコの故、坂下氏との
コラボワークのために渡米、氏の工房に滞在。ついでにアメリカンビンテージギターフェスティバルが開催
されたニューヨークで市内見物もいたしましたが、わずか4ヵ月後にそのワールドトレードセンタービルが
9.11同時多発テロで崩れ去ったニュースを見たときには凍りつきました。
11月のしし座流星群はその事故の犠牲者を弔うかのように全天を流星が埋め尽くし、しばし言葉と寒さを忘れました。

今年2011年は、というと・・・。世界の情勢は変わっていないわけではないのでしょうけれど、繰り返す波のように、あるいは広がる波紋のように自然界も人間社会も揺れ続けています。このままではそう先までは持たないのではないだろうかと思わせるくらいです。
相変わらず戦争は続き、国と国との文化、経済格差は広がり、物質や情報量の豊かな国を恨めしく思う貧国の感情はあらわになってきています。

アースコンシャスというスローガンが使われていた頃はまだピントが合わずにいたのかもしれません。今、「エコ」と言う言葉が蔓延してきて、自分のサイフに直結する=身近に感じられる状況で、ゴミの分別にさえ損得感情を感じずにはいられない状況で初めて、未来に向かってわずかに10年進んだ感触が実感できます。良いことではありますが、途上国や後進国に浸透するにはまだまだ2倍3倍の時間がかかるのではないのかと感じてしまいます。

もちろんその間に目覚しい発展を遂げたものも数多くあります。よく分かるところでは自動車、携帯電話、コンピュータから、医療、農産物、物的インフラ。こういったものは非常に速いスピードで世界中に広まっていますが、例えて言えば日本の高度経済成長期に酷使した、あるいはそれを上回る程度で犠牲になる大切なものを無視して進んでいます。
日本は、わずか数十年前に轍を敷いたものとして何かしら伝えてゆかなければならない立場であるのでしょうけれど、不幸にもいまだ足かせを外せず、どちらにも動けずにいます。

いえいえ、だから自分がこうしようと思うものがあるわけではないのですが・・・。
自分が出来ることに精一杯力を注ぎ、誰かが何かをする事を助け、今年一年でほんの少しでも世界中の何かが良い方向に動き、あなたに、私たちに、そして人類にとって素晴らしいことがありますように。

                               2011年 1月    高橋謙次